映画「エリジウム」を見ました

映画「エリジウム」を見ました。

 

映画を見ていない、かつこれから視聴する予定の無い人向けにあらすじを説明しますが、要は「富裕層と貧困層に二分化された世界」という、やや使い古された(?)SF設定を舞台にアクションアドベンチャーがきれいな映像で繰り広げられるということ。映画という2時間に限られた作品だから仕方ないのかも知れないですが、SFとしてはストーリにひねりがありませんが、それを補う作品描写の丁寧さ、映像(CG)の綺麗さは評価できます。

 

時は西暦2154年。世界は汚染された地球と、極々一部の超富裕層が暮らす衛星都市「エリジウム」に二分されていました。地球で暮らすマックスは、超富裕層の召使ロボットを生産する工場で勤務する日々を送っていましたが、ある日設備事故により大量の放射線を浴びてしまいました。生き残る術はエリジウムの医療ポッドで治療うける他ありません。余命5日の命、吹っ切れたマックスはかつてのギャング仲間たちと結託し、エリジウムの要人を襲撃しデータを強奪、データを脅しエリジウムに渡ろうと計画するのでした。務めていた工場の乗る飛行船を社長を襲撃しデータを強奪できたものの、エリジウムが使わせたエージェントに次々と仲間を殺され、かつての幼なじみまでも自分を助けたことが原因で拉致されてしまいました。しかしそこでマックスは自分の脳に格納されたデータの価値を知ります。そう、マックスが強奪したデータは、社長とエリジウム防衛庁長官がクーデターを引き起こすために容易したエリジウム管理システムのリブートプログラムだったのです。このプログラムをもとに書き換えて実行すれば、エリジウム市民と地球市民の垣根を書き換える事ができる。自分の持つデータの価値を知り、エージェントと交渉しエリジウムに渡るマックス。エリジウム地表到着目前にしてエージェントとは決裂してしまうも、マックスの動きを感知した地球の密入国斡旋人でハッカーでもあるスパイダーの援助を受け、エリジウムのリブートを果たす。これにより地上市民全てがエリジウムで治療をうける権利を有し、白血病を患っていた幼なじみの幼い娘も完治する。平等な治療、平等な権利が達成されたのだった。マックスの、尊い犠牲のもとに。リブートプログラムは読出し後死亡する様設定されていた。

 

とまああらすじを書き下すとこんな感じ。

 

SF作品を評価するにあたっては

1. 世界観の独創性

2. 世界観の現実み

3. 世界観の切り出し方、映し方

を私は軸にしています。本映画は世界観設定に独走性は薄いものの、スラム街のようなディストピア&SF小道具が生々しく描かれている点で評価に値するものと思います。この映画は今から約140年後を想定しているだけあって、地球では液晶画面や油圧ユニットみたいな馴染みのある小道具が登場します。しかしながら当然エリジウムは空間投影型ディスプレイ。また、今2010年代には実現されていない脳とデジタルデバイスの通信や、神経接続可能な強化外骨格も登場します。地上のものは荒々しく、またエリジウムのホワイトカラーはイヤホンのようなスマートなデバイスとして。マット・デイモンがタバコの煙と落書きにまみれた手術室で電脳化手術を受ける1シーンは、リアルに、グロテスクに描かれ、監督の気合が感じ取れます。

ここらへん、近未来を舞台にした作品一覧としてとりあつかいところではあります。

貧困層と富裕層の分断」「デバイスと人体の関係」あたりは2010年代SFを整理する上での大きな軸になるかと。まぁこのことに関してはおいおいまとめますが、本記事としては映画「エリジウム」をおすすめします。特に、スペースオペラや異能力ものに飽きてて、近未来SFに飢えているような人には。