躾けられたい

最近よく夢想にふけって自分の半生を思い返している。そんな中でひとつ気づいた。

自分は躾けられたがっている

 

基本的に自分の人生の殆どで対人関係が良好ではなかった。それは家族に対しても出し、クラスメイトや部活の仲間に対しても、ほぼ例外なく。

うまくいっていた時期もそれなりにあったけれど、それは一人で活動していたときがほとんどだった。一人で活動してると言っても誰とも話さなかったわけではなく、自分がやることがあって、それにほとんどの時間没頭して、それ以外の当たり障りの無い日常会話レベルだけでひとと付き合っていた。具体的に言えば受験勉強のときとかがそうなんだけど。誰とも深くかかわらず、自分のために濃厚に過ごす。これが自分にとって至福の時間なんだと。

だから誰かに貢献したとか、ほめられたとかそういうのは皆無で、人と関わっているとうまくいっていない時のことをどことなく意識してしまう。誰かと何かしてうまく行っていると、何かおかしいんじゃないかとか、実は誰かに差し向けられてうまく併せてくれてるんじゃないかとか、そんなことを頭の片隅で思ってしまう。その引っ掛かりが、失敗のイメージとなってまたうまく行かなくなって行く、悪循環に陥る。

で、こうなってしまうの自分に落ち度があるんじゃないか、と思って、その落ち度を埋めるために、誰かに自分を躾けてほしいと願っているようだ。

 

ひとまず今日はそう言うことにして、言葉をはてブロに詰め込んで置こう。気づけばまた何か変わると信じて。