「彼女欲しい」に関する雑感

非モテ向けか知らんけど、彼女がいてくれてよかったと思った12のこと+α - 狐の王国

ただね、俺は「彼女欲しい」ってのは正直理解できない。だってそれって相手不在じゃん? 付き合って何するかなんて相手次第だし、そんなの千差万別で雑誌やドラマの恋愛観がそのまま再現されるわけじゃない。結果、「誰でもいい」か「理想追いすぎ」かどっちかにしかならないように思うんだよな。

学校なりサークルなり職場なりなんなりで男女いる中でなんとなく引かれ合う人が現れて、てのが一番いいんじゃないだろうか。

そうした中で彼氏彼女という関係になってはじめて、「ふたりでやりたいこと」が出てくるんだと思うし、「ああこの子と付き合ってよかった」と思うこともでてくるもんなんじゃね。

という話、ちょうどさっき親ともしたところで、何かシンパシー的なものを感じたので突発引用記事。そういや高校の頃に彼女のいたある先輩も「楽しそうにしてれば自然と彼女なんかできるぜ〜」って言ってた。今思い出した。

 

自分に限って言えばここ数年くらいずっとホモソーシャルな環境で、多分これからもそうなんだろうって思ってて、こんなんじゃ彼女とか女友達とかゼッタイに作れないなー、と。

じゃあ積極的に街コンとか友達の紹介とかをたどれよって話になるんですけど、そういうのって「自分から歩み寄っていく」という感じがあってなんとも不自然になる。不自然だし、どこか「負けた」気分にさせられるのでそういうのはもうそもそも負け戦に出兵しに行く気分なんです。結果はどうあれ。

たぶんこういう負け戦でも経験を得ておいて、あれこれ選んでひとり選ぶと。

「正規の手順」をすっ飛ばした「邪道」であり「獣道」なんですよ、言い換えると。

でも割りと周りにはそういうことに中学生くらいからトライしている奴もいて、それを嘲笑の目で見ていたつけを今ようやく認識できるようになってきた。

あ〜、とりあえず今年の目標は女のお友達を作るってことで。お友達レベルは、まぁ一緒にどこかに食べ歩きにいけるレベルで。むりげー

 

あともう一つ。よく「彼女作る」って言うじゃないすか。「彼女ほしい」→「作れば?」ってな感じで。え?何彼女って作れるの?人体錬成で半身失うとかしないの?という某つぶやきで返事するけど、そう、この彼女は作るものってことに対して長い間違和感を抱いてきた。彼女ってヒトなんだから、無から有は生まれないわけで、なにかが加工されて「彼女」になるわけですよ。この何かって言うともちろん「ヒト(メス)」に限るわけで、(「ヒト(オス)」なら無論彼氏であって彼女にはならず、)彼女の誕生には必ずその前の状態の消失があると。自分に彼女ができたとして、その彼女の材料になった何かがあった、何かが失われたはずだと。そのことに申し訳ないと思うのですよ。未だにそう思う節もあるけど、多分これは自分のことを卑下し過ぎなんだろうと3年くらい前に浴槽で寝落ちした時に気づいた。

あ、表現としては僕は「彼女見つける」と言いたいです。